追悼・西康一氏

松江 澄

労働運動研究 19967月 

 

 西康一さんが四月二五日朝八時一〇分、大腸ガンのために大阪府高槻の自宅で亡くなられた。八三歳だった。

 西さんは戦前から新築地劇団の団員として若い頃から新劇を追求して精進を重ねてこられ、今では当時からの数少ないメンバーの一人であった。私は当時学生として先輩につれられ築地の劇場にその最後の一年近いあいだ熱心に通ったものだった。戦後西さんと二人で当時の舞台を思い起しながら「ドン底」「火山灰地」「大仏開眼」など、在りし日の新協・新築地劇団の熱心な追求を懐かしくふりかえって話し合ったものだった。そうして高校二年の夏休みに広島の自宅に帰った私は、ある日の新聞に大きく両劇団が弾圧され百名近くの団員が逮捕されたという記事を見てがく然とした。この弾圧された人々の中に西さんもいたことを後年知ることができた。私は西さんと二人であの頃を偲んで当時の新劇を探り返したものだった。

 戦後ともに同じ組織の中で闘い、戦前の思わぬえにしにおどろくとともにうれしかった。以来西さんとは親しい仲となり、時にテアトロQ(一九六〇年創建)の公演を見学したり、あるいはどこかで一杯飲んで演劇の過去と未来を語り合ったものだった。  

 西さんは私より六歳ほど上だが、会えばいつも古くからの友人のように、あるいは「新築地」の頃をしのび、またこれからの演劇のあり方について語り合うのだった。

西さんは八・五集会には幕開けに必ず詩の朗読などで参加して、あのすばらしい声を参加者の心の奥までひびかせた。一昨年までは不自由な体を車で毎年八・五集会に参加してくれた。

 西さんは誠実な人だった。

それは自らに対してもそうだった。だからこそ外目にはきびしく烈しいこともあったが、それは自らに対するきびしさのあらわれだったと私は思う。それは一生かけた-演劇にこめられた魂のあらわれでもあったと思う。西さん、安らかにお眠り下さい。
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